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オリンピック開催を間近に控え、街には祝祭的なムードがゆっくりと、しかし確実に高まりつつある。20日からは市内の建設行為が中断され、車の交通規制も始まり、カウントダウンが目に見えるかたちで進行されつつある。

それらの影響でホワイトノイズは減少し、そっと地面に耳をすませても、以前のように蠢くような微小な振動を感じることはできなくなった。急に街がしん、としてしまった。おかげで心なしか耳のつかえがとれ、頭がすっとクリアになった気がする。ざわざわ感がなくなったと言えばいいのだろうか。普段は知覚できなかったので気づかなかったが、おそらくそれらは無意識のうちに身体を一種の興奮状態へと導いていたのだろう。都市が奏でていた通奏低音は身体と共鳴し、うねりを生みだしていたのだ。最近日本へ帰国したが、日本ー東京はとても静かだった。とても静かで、ねっとりと生温い。

北京も静かになった。だが、とても暑い。ただそこに立っているだけでじっとりと汗が吹き出してくる。手のひら、ひたい、膝の裏…体中のいたるところから汗が吹き出してくる。そういう暑さだ。それは熱源が太陽だけではないからだ。もちろん、「ジャンク・スペース」のエアコンの話ではない。都市を構成するすべての要素から全方位的に熱気が発せられているのだ。日を追うごとに暑さは強まっていく。あまりの暑さゆえに、街を動かしていたエネルギーがそのまま熱量に変換されているのではないか、とさえ疑ってしまう。

うだるような暑さの中で、結局オリンピック会期までに建設が間に合わなかった建物を眺めながら、ある言葉たちを頭の中で反芻する。その言葉たちとは、site-dominant、site-adjusted、site-specific、site-determined(site-conditioned)の4つだ。

目の前にある建物をこれらのカテゴリーに入れるべきかはさておき、最近、北京を語るにおいて、これらの4つの言葉は非常に有効ではないかと考えている。

言うまでもなく、北京の中心には故宮が位置し(site-dominant)、訒小平の改革開放後、膨大な開発の果てには建外SOHOが生み出され(site-adjusted)、この国特有の制度が世界に類を見ない芸術地区−大山子798芸術区や草場地芸術区−を誕生させた(site-specific)。そして、それらは矛盾をはらんだまま同じ市内に同在している。今挙げたものはそれぞれのカテゴリーを代表するものだが、北京に存在する建物は、世界中にあるほとんどの建物と同じように、site-dominant、もしくはsite-adjustedに属すだろう。

北京には今膨大な量の情報があふれ、都市的環境は秒刻みでアップデートされ、そこに住む人々の認識も日々刻々と変化している。日本より進んだネット環境と(ある意味では遅れているが)、モバイル環境により、記憶の外部化は信じられない速度で進んでいる。その結果、全体/個人主義の固まりであった中国では、記憶の差異/共有化が同じ速度で進行している。その速度は減速するどころか、さらに加速さえしている。

押井守の言葉どおり、都市は人間の身体の拡張だ。今の北京の姿が、現在の北京に住む人々の<生きられた身体>の「うつしみ」ならば、これから生まれてくる北京は今までと同じ姿ではないだろう。外国人のぼくにでもわかるくらい、人々の中では「何か」が変化している。その「何か」の集積がうだるような熱量を生み出し、その熱量を取り込んだ人々がまた「何か」を生み出していく。その連鎖反応は止まる手段をなくしたかのようだ。2008年8月現在、人々はひとつの皮肉的なスローガンに向かってその熱量を消費しようとしている。熱量はほとんどがそこで消費されてしまうだろうが、すべてではない。その熱量の総和は、その場で消費されるべき量をすでに超えてしまっている。

それらの熱量によってかはわからないが、固有の制度はねじれを生み出し、不思議な場所をつくり出している。そのひとつが南楼鼓巷という場所である。南楼鼓巷についてはまた別の機会に書こうと思うので割愛するけど、ひとりのカメラマンがつくり出した小さなカフェは、いつの間にか周囲を巻き込み、その流れはいまや留まるところをしらない。そこではボトムアップトップダウンが目まぐるしく移り変わる現象が巻き起こっている。この場所は、4つの言葉の最後である、site-determinedに今現在、世界で最も近しい場所と言ったら語弊があるかもしれない。だが、site-determinedがオートポイエティック的な概念であるとしたら、それはあながちおおげさということでもないだろう。

ぼくたち建築設計に関わる人間たちは、「site-determined的建築」を目指すべきなのだと最近思う。「site-determined的建築」がどういうものなのかはよくわからないけど、それは別に北京でしか生み出せない、というものではない。それはsite-dominant→site-adjusted→site-specific→site-determinedという連続した概念である。それはそれ自身を生み出す意思が不可欠ではあるが、つくろうと思えばどこにでもできるものである。また、それは原初的な時代にもあったかもしれないし、未来にもきっと存在し、今ここにも間違いなく存在する。それは発見されるものである。そこで重要になるのは、覚悟であり、態度であり、意思表明なのだ。ぼくはとりあえず、その言葉が意味するものを北京の中で探索し模索し続けている。


つづく